ま総研2000(まどの総合研究所ver.5.1)

みんながみんなその物事に興味があると思っちゃいけないよという精神で綴る備忘録

学校で書かされる作文に生徒は結構気を使う説(過去記事)

   

これは前身のブログで2007年10月06日に書いた「学校で無理やり書かされる作文に、意外と生徒は気を使う(一般論)」を加筆修正したものになる。なお、こっちのブログに記事を移し替えた時点で元記事は消す予定。

なお、以下の文章は、2007年における私の考え方である。そして、今、2013年においても、その考え方にあまり違いはない。ってことで、スタート。

学校やらで無理やり作文を書かされることほど、苦痛なことはないよね。あれほど気を使うものは無いよねと思うことがある。

喩えが古いかもしれないけれども、湾岸戦争が起こったときに、この戦争についてどう思いますか?という作文を書かされたとする。その作文を書いてくれといったその教師が典型的な組合系の思想を持つ人だった場合を想定してみよう。

このとき、生徒の中で本当に自分が思うところを書く人間っているのかね?って話である。

その思想の良し悪しは別として、心の中で「話し合いで済まなかったんだから、闘うしかないだろうが」と思っていたとしても、そう正直にそう書く人なんていないだろう。

小学校低学年あたりならともかく、中学年・高学年あたりになれば、この手のタイプは、自由がどうたらという割には、他人の思想に関してはどうも束縛癖がある、平たく言えば面倒くさい人だってことは経験則でわかってしまっているわけだ。

今後の学校生活を行う上で、そんな面倒に巻き込まれるのもなんか嫌だよねえってことで、打算的な意図もあって「もっと、話し合いを続けていくべきだ」という風に書く人間がいないとは限らない。

生徒たちも面倒なことに関わりあいたくないので空気を読む。想像以上に生徒たちは教師に対して気を使っているという可能性もあるのだよ。

ってことで本題。

たとえば、学校において不祥事があった場合に、先生にアンケートやら原稿用紙を渡されて、実態調査名目で本当の所を書けと言われた場合、生徒の中で本当に自分が思うところを書く人間っているのかね?って話である。

少なくとも生徒だって、面倒なことに巻き込まれたくないだろう。その不祥事に関する事実を知っていたというよりは、知らなかったと書いた方が、今後、安全圏にいることができるではないか。

匿名で書いてねって言われたとしても、そもそも筆跡でばれるではないか。学校に波風を立たせて自分が不利になるような状況にわざわざもって行ったり、わざわざ自分自身がこの事件のキーパーソンになって色々な責任を背負わないといけない状態に持っていくという人間なんて、よっぽどの心の強い人物じゃないと無理である。

もっとも、上記はまだマシな話かもしれない。

もっとハードな前提として、先生と生徒の間に、推薦入学だの、内申書だのの、あまりにも強力すぎる利害関係がガチガチに組まれていた場合はどうだろう。

関わり合いたくないというレベルじゃなくて、むしろ、関わることで御目通りヨロシクっていう状況だった場合、「本当の所」なんてものは霧散し、下手したら先生有利・学校有利の言質が取られるってこともあるだろう。

どのケースにしても、学校から書きなさいと言われて書かされた作文って、情報の確かさという点を考えると、なんか微妙だよなあと思う次第である。

この手の作文をさせるんだったら、最低でも第三者機関の施設などで、学校には誰が書いたかをばらさないという誓約書を交わした後に、自分の思うところを書かせないと、真実なんて見えるわけがないよね。

情報提供者が安全圏のまま過ごせる状況にしないとそりゃなかなか情報なんて取れないだろうよ。

本当に作文に書かれていたことが真実ってこともあるかもしれないけれども、学校で無理やり書かされる作文に真実が書かれるとは限らないということも知っておかなきゃいかんよねと思う次第で。

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