ま工房はメインブログとは別のことをやろうとして面倒になってやめた夢の残骸です
今月はおそらく、自分用メモカテゴリにて、色々な思いつきをひたすら書いていくことがメインになっていくと思うのはさておき、やっぱりブログでありがちなネタといえば、書評ネタである。
とはいえ書評ブログは激戦区。いわば、書評ブログで生き残っているのは歴戦の勇者たちの集まりでもあり、魑魅魍魎の集まりだったりするので、そこに割り込むのはなかなか難しいようだ。
とあるブログによれば、フィクションの書評が、ちょっとブルーオーションっぽいようだ。(参考:書評ブログは超絶レッドオーシャン)
でもなあ、あたしゃ小説のことが、嫌いじゃないけど好きじゃないよ状態なんだわなあ。ってことで、今回は小説について自分語り。
昔、ちょっとは小説は読んでいたんだけど、よくよく考えると、私はどうも情景描写っていうやつが苦手で、少々読み飛ばす感じでやっていたなあと。というのは、なんだかよくわからないからという部分が大きい。
その描写が、もしかしたら登場人物の心情をほのめかしているのかもしれないけれど、あくまでほのめかしである以上は、その受け取り方でいいのかどうかはわからない。そもそもほのめかしですらなくて、ただ状況を描写しているだけなのかもしれない。
こんなことを考え出すと、ただただしんどいだけなので、結果、もう状況だけわかりゃいいやという読み方になっていくわけである。
私が中学生ぐらいのころからこんな感じなので、現代文の小説の問題なんていうのは、なかなか大変なのはさることながら、もっと困るのは、賞をとった本を読んでみたときである。
一時期、話題になっているものは、いかなるものでも一度は触れた方がよいという思考になっていたころがあって、そういうこともあって、その手の賞の本を読んでみたわけだ。
特に純文学(っていうのかな)を読んだ時に顕著だったんだけど、読んでみても、えっ?どういうこと?と思うことが多数発生してしまったのだった。なんか中途半端に終わってない?ってやつである。
世間は感動するだのなんだのって言っていたので、多分、そっちの方が正しくて、ちゃんと話として着地しているのだろう。でも、私にはなんかよくわからない。ピンとこない。
結局、これだったら、実用書やら新書やらノンフィクションの方がわかりやすくて気持ちいいよなあってことになるわけである。
以上。
なし